押し入れにわかの不定期日記blog

ゲームします、リアルは迷走中

明日世界が終わったら…

雑談などでたまに話される内容だが実際明日世界が終わるとしたら…それを知ってしまったらどうするのか…特にデータやソースはなく私の個人の感覚的な話で書いていくが単刀直入に言うと人の本性がでるのであろうと思う、だって明日世界が終わるのだから、あとのことを何も考えなくてもいい、ただそれだけで行動を起こす理由になりえるだろう、そうあれだ、転校していく好きな子に告白して振られても後が気まずくなったならない、そんな感じ、でもこれってちょっとズルなんじゃないかなとも思う、だって追い込まれて初めて行動を起こしたってことだ。でもこうもとれる、ズルでも行動を起こせたと、今行動しないと最後の時に後悔すると…

私たちは生きにくい世界で生きていると実感することがある、なんかあれば結果がどうだとか、相手のために自分に嘘を平気でついたり、自分の立場を守る為なら二枚舌を使い、時には一緒にやってきた仲間すら蹴落とさなければならなくなる、そう私たちは常に他人の目を気にして生きていかないといけないのだ、ネットでもそうだ、多くの他人に見てもらうために物珍しいことをしたり、遠方の有名店にわざわざ出向き写真をとり飯を食べたりする、どこに行っても誰かの目が付きまとう世の中なわけだ、話が脱線したので本題に戻る

私が何を言いたいのか、それはここに書いて私自身にも言い聞かせる目的のものだ

誰かの目を気にするなと、確かに意図的に他人を傷つける行為はよくないし、意図的でなくてもある程度の非があるであろう、だけどよく考えてみろ、今やろうとしていることは誰かが傷つくものなのかと…なぜ誰も傷つけることのないものと分かっていて躊躇するのか、冒険をするのが怖いからか?はっきりとした目標や思いがあるものは冒険ではなく挑戦だと思う、挑戦している奴を笑うやつがいたらそいつは挑戦もできなやつだと…

誰かの目を気にするという行為は単純に比較だ。この世界は比較の世界で上には上が下には下がいる、知れば知るほどどちらの差も増えるばかりだ、そうだから誰かの目を、いや比較をやめることが大事なのかと思うわけです、この世界はゲームじゃない、一人一人に個性があってそれを観測する側にも同様に個性がある、数百や数千、数万でなく人の数だけある、完全上位互換も完全下位互換もない個性がある

世界が終わるときまでその個性を無駄にして生きるのか…それはもったいないと思うだって本来の自分を出したことで新たな世界が開けるのかもしれないのだから、新しい世界は今より生きやすいかもしれない、当然逆かもしれない、でもいいじゃないかと思う

その世界は挑戦したから手に入ったものなわけだ、一度挑戦できたならあとは繰り返すだけ、なんでもそうだ最初の一歩が厳しいのだ、でも大体道って言うのは誰か通っているものと思えば安心して一歩踏め出せるかな?